北京パラリンピック 盛り上がりの予感!

               
   2008-09-08 15:22:58    cri

 北京五輪が終了してから12日が過ぎました。そして明日から、いよいよパラリンピックが始まります。その間も地下鉄の安全検査はずっと続いていましたが、オリンピックが大いに盛り上がっただけに、北京の人々もちょっと一息ついたところでした。ボランティアの人々の姿も、再び街のあちこちに見られるようになり、6日の開会式を前にスタンバイの状態になってきました。

 私は北京で暮らすようになり、中国社会で生きてゆく中、オリンピック以上にパラリンピックに注目していました。それは、中国でのマスコミ報道を見たり、中国の人々と触れ合う中で感じる体験から、北京パラリンピックがとても盛り上がる大会になると思っているからです。私がそのように予想するのには次の3つの理由が挙げられます。

 1 中国の人々の優しさと平等意識

 北京生活の中でバスに乗るとよく目にするのは、お年寄りが乗り込むと、若い人がさっと席を譲る習慣です。中国ではお年寄りや弱者をいたわろうという光景はよく目にするもので、街を歩いていてもおじいちゃんおばあちゃんを大切にし、子供が大好きな中国の人々の優しさを感じることが多いです。また、社会主義国家の歴史の中から培われてきた平等の精神も強く、「オリンピックでしたことはすべて、パラリンピックでも同様にしよう」という心持ちが強くうかがえます。ボランティアや専用バスも五輪同様に配置され、もちろん安全チェックも厳しく行われるようです。パラリンピックは五輪よりも参加者が少ないので、数は縮小される部分もあると思いますが、パラリンピックを迎える北京の人々の心はオリンピックの時と同じものになると感じています。

 2 マスコミの大きな扱い

 中国ではテレビはすべて国営なので、番組の扱いの大きさは国で決められるためか、五輪が終了してからのテレビCMには、パラリンピック関連のものが圧倒的に増えました。私がよく目にするのは、目の見えない男子走り幅跳び選手のジャンプシーンです。これは、専門の陸上競技なので、特に興味深いのですが、コーチが踏み切り板横で拍手をしている方向へ向かって勢いよく選手がスタートし、スピードに乗った助走から力強い踏み切り、そして見事な空中姿勢で放物線を描いてゆきます。目が見えない暗闇の中で、すごいスピードで跳び出してゆく選手の恐怖感を想像しながら、私はいつも感動して見ています。

 また、五輪ソングの「Everyone is No1」という歌に乗って流れる短編映画もなかなか素晴らしいものです。人気スターの劉徳華出演で、陸上競技で一流選手の郵便配達員が交通事故に遭い、片足を切断し、一時は自暴自棄になりながらも立ち直り、リハビリに集中し回復。同様な試練を受けた少年を励ましながら片足に義足をつけて競技会に出場するまでのストーリーが、わずか10分くらいで感動的に描かれています。バスや地下鉄で流れるニュースもパラリンピック関連が多く、大会が始まって以降もマスコミ報道はさらに増え、大会を大いに盛り上げるのではないかと思っています。

 3 競技観戦者の多さ

 私の中国人の友人で北京五輪を実際の競技場で見られた人は、ほとんどいませんでした。水立方や鳥の巣のあるオリンピック公園にも入場券が必要だったので、ほとんどの人はテレビで観戦するだけのようでした。オリンピックチケットは入手が難しく、特に鳥の巣で行われた陸上競技チケットは値段も中国の物価にしては高かったので、庶民にとって北京オリンピックはテレビで見るものだったようです。なので、五輪施設に入ってみたいという要望は強く、北京大学前のチケット売り場にも人が集まってきていて、パラリンピックには中国人の多くの入場者が予想されます。また、政府もパラリンピックの教育的な価値の大きさから、30万枚のチケットを子供達の見学用に提供するということです。チケットはスポンサーや外国人向けの割り当ても多いので、競技場がすべて満員になることは難しいかも知れませんが、北京パラリンピックは過去のパラリンピック以上に大観衆の声援に包まれて、競技運営されてゆくのではないかと私は予想しています。

 というわけで、私はこれから始まる北京パラリンピックをとても楽しみにしています。

 

感動のパラリンピック開会式

               
   2008-09-08 15:29:13    cri

 昨日はパラリンピックの開会式をテレビで見ました。3時間を越える素晴らしい表演の連続は、オリンピックにひけをとらない、いやそれ以上の感動でした。超満員の観客で埋め尽くされスタジアムの中で行われた一つ一つの表演は、何らかの障害を持つパラリンピック参加者と同様な障害を持つ中国人の出演者がバレエやピアノ、踊り、歌等でパラリンピック開幕の喜びを表現していて、平和の大切さを伝える奥の深い演出に圧倒されました。

 中でも、聴覚障害を持つ女性ダンサーが両腕にバレエシューズを着けて行う踊りの中、四川大地震で片足を失った少女が車椅子の上で演じる表演には心を打たれました。音楽が聴こえない中、ダンサー達の四方を囲む女性コンダクターの手の合図に合わせて一糸乱れぬ一連の動作を行う女性たちには、この演技のために大変な練習を積んできたのだと感じました。そして、音が聞こえなくとも心は伝えられるというメッセージを強く感じました。クライマックスシーンでは男性ダンサーが車椅子の少女をリフトし、少女が身体を支えられて身体を伸ばして美しく舞いました。私はこの演出が、地震被害を受けた多くの人々への中国の国としてのメッセージを象徴するものに思えました。

 また、盲目の舞台中央のピアニストが奏でる曲に乗って舞台の周囲を囲む大きな円から中国の四季を表現する花や麦の穂が次々と飛び出してくる演出は幻想的でした。そして、私が感心したのは、舞台の後方でずっと一人で公園風のベンチに座っていた普通のおばあちゃんが、演奏後にこのピアニストを抱きしめるシーンでした。このシーンは、目で見ることは出来ない「心」のあたたかさを見事に表現していて印象に残りました。

 ラストの聖火点火は、66mある鳥の巣の天井まで車椅子ごと自力でロープを引っ張りあげて点火するという、これもオリンピック同様の大変力が必要で、苦労が必要な点火方法。途中で息が切れて何度も呼吸を整えながら、必死に点火地点に向かう最終点火者を見て、思わず「加油!」って応援しました。この演出には、障害を持ちながらも自力で逞しく生きて行かねばならないという強いメッセージが感じられ、これにも見ていて胸が一杯になりました。

 北京オリンピックの開会式については日本や欧米でもお金をかけ過ぎると言う意見もあり、このパラリンピックの開会式も派手すぎると思う人もいるかもしれませんが、元来中国人はここぞという晴れの舞台の時には衣装が派手です。中国のテレビでよく流れている各種の音楽祭やカンフーのショーもみんな舞台が大掛かりです。これについては日本のねぶた祭りやアメリカのローズパレードのフロートと同じ感覚なのかもしれません。なので、「世界中の人が集まる開会式だから、これぐらいのことをして歓迎しなければ。」という中国政府の強い意気込みに加え、その演出に雑技的な内容も加えていることに、いかにも「中国らしいアピール」というものを今回も感じました。  

 前回のコラムで書いた「中国人はオリンピックでしたことと同じレベルのことをパラリンピックでも見せてくれる。」と言う予想通りの展開。さらに、開会式全体に「暖かな心のふれあいと助け合いの精神」というテーマが流れていて、私はテレビを見ながら思わず涙が出ました。この開会式は日本にすべての映像が流れないかもしれませんが、本当に見事でDVDが発売されたらぜひ買って帰ろうと思っています。

 

パラリンピック卓球 ベストを尽くすことの意味

               
   2008-09-12 09:26:28    cri

 昨日は初めてのパラリンピック観戦で、卓球を見に行きました。4月に来て以来、近くていつも通りがかっていたものの、中に入ることは出来なかった北京大学の体育館にやっと入ることが出来、入れただけでも、ワクワクしましたが、試合を観戦してそのワクワク感は、予想をはるかに超えた感動に変わりました。

      

 試合は午前の部でまだ予選ラウンドでしたが、場内の席は8割は埋まっていて第一試合から盛り上がっています。場内にはコートが8コートあり、それぞれのコートにはパラリンピックならではの異なった障害を持つ選手達が、障害の程度別に振り分けられて試合をします。私の席の前のコートは車椅子の女子選手で、ドイツ対スロベニアの勝負。車椅子卓球は利き腕でラケットを持ちながら、反対の腕で常に車椅子を微妙にコントロールして打ち合います。見ていると、前後左右に来るボールに対してうまく手を出していて、見事なラリーの応酬です。

 試合の方はセットの取り合いになり、フルセットにもつれ込む白熱の戦い。ドイツの選手が落ち着いた雰囲気で淡々と試合を進めるのに対して、スロベニアの選手は一球一球に気合を入れて、感情を表に出すタイプです。選手同士も真剣ににらみ合い、すごい闘志で見ている私たちも思わず力が入ります。最後にはスロベニアの選手が勝ちましたが、試合終了後は両選手握手を交わし、お互いの健闘を称えあいました。スロベニアの選手の勝利の時の喜びの表情は素敵で、国旗を広げながらコーチと抱き合う姿に大きな拍手が沸きました。  

      

 次の試合は、車椅子ではなくお互いに立って歩ける人同士の試合でした。とはいえ、ロシアの選手は背中に大きなこぶがあり、動作をするのに大きな障害がありそうでしたし、オランダの選手は杖を突きながら苦しい歩き方で入場してきました。ところが、試合が始まるとオランダの選手は杖を床に置き、立って打ち始めました。普通に立っているだけでもバランスを崩した状態なので、その姿勢から動くことがどんなに大変なものかは想像できました。

 試合はロシアの選手が簡単に一セットを取り、やっぱりオランダの選手に勝ち目はないかと思っていたら、2セット目から反撃し、2、3セットを取り返しました。バランスを崩しながらも来たボールに対して素早く反応し、時にはダイビングしてまで返球し、床に座った状態からも打ち返す、彼女のファイトに見ている人々は感動し、一球一球に大きな拍手が沸きました。「ケリー」「ケリー」私の横の席のオランダ応援団から大きな声がかかり、彼女の名前がケリーであることがわかり、見ている中国人達も一緒になって「ケリー」「ケリー」の大声援を送ります。

 試合はフルセットに入る激戦になり、ロシアの選手が冷静な試合運びで逆転し、ケリー選手は健闘むなしく敗れました。私たちは両選手に大きな拍手を送り、その拍手は試合終了後もしばらく鳴り止みませんでした。ベンチに戻ったケリー選手はコーチに抱かれずっと泣き続け、2人はコートの端のベンチに座り、誰もいなくなったコートをずっと見つめていました。

      

 この試合を観戦しながら、私は涙があふれて止まりませんでした。自分の持っている能力を極限まで出そうとする選手達の素晴らしい闘志は、人間として生きる原点が何かを思い起こさせてくれました。それは、オリンピックにもパラリンピックにも、さらには私たちが普段目にしている子供たちのスポーツや生活の中にも共通する本当に尊いものなのだということを改めて感じさせてくれました。  

 観戦後、呆然として体育館を出ると、体育館の外で偶然にもケリー選手に出会いました。彼女は車椅子にすわり、ご両親の腕の中でまだ泣いていました。私は思わず駆け寄り、「試合に感動しました!」と伝えましたが、それ以上は言葉になりませんでした。一緒に写真を撮ってもらい、最後に「次のパラリンピックがんばって!」と伝えたらみんなで微笑んでくれました。

 私は、体育館を後にしながらケリー選手とご両親が最後に微笑んでくれたことの意味を考えました。もしかしたら、ケリー選手は障害が悪化し、卓球が出来なくなってしまうかもしれない。次のパラリンピックのことは考えられないのかもしれない。そんな中でも私に微笑を返してくれたケリーさんからは、「どんなことがあっても、私はずっとベストを尽くして生きてゆく」という強い思いが伝わってきて、再び胸が一杯になりました。

 写真オレンジのシャツがオランダのケリー選手で、車椅子の写真はご両親と一緒のものです。

 

パラリンピック・テニス「中国!加油!応援団」に大人の対応

      

 運よくチケットがもらえ、車椅子テニスを観戦に行きました。車椅子テニスのルールはコートの広さや得点方法は通常のテニスと一緒ですが、2バウンドしたボールまで打ち返せるというところだけが違います。テニス会場はスタンド付きで試合のできるコートが10面ほどあり、男女のシングルスやダブルスが、各コートに分かれて行われていました。私が最初に向かったのは一番大きくて屋根のあるセンターコートで、ちょうど女子シングルスでアメリカ対ベルギーの選手の勝負でした。

 アメリカの選手はベテランで落ち着きがあり、淡々とプレーをしていましたが、ベルギーの選手は若くてとても逞しく、気迫を表に出してパワフルにボールを打っていました。車椅子テニス専用の車椅子は前後にも小さなキャスターがあり、相当大きな力でラケットを振り回しても、倒れないような設計でしたが、ベルギーの選手はその中でも車椅子から飛び出るくらいにパワフルなスイングをしていました。

 試合は第一セットをベルギーの選手が簡単に取りましたが、次のセットはアメリカの選手が作戦を変えてきたようで、セットを奪い返し、フルセットに入りました。最終セットに入るとベルギーの選手がミスするたびに、自分のプレーに納得がいかないようで少し落ち着きがなくなってきました。すると、アメリカの選手が軽い返球で相手を翻弄するようなプレーを見せはじめ、完全にペースをつかみ、勝利しました。傍目から見ると、ベルギーの選手の方が実力はあるように思えましたが、ベテランの落ち着いたプレーの前に新鋭が倒れるという形になりました。この二人の勝負はとてもレベルの高い心理戦のように思えました。

    

 外のコートに出ると、ちょうど日本選手のダブルスの試合をやっていて応援することができました。

 藤本選手と池の谷選手のペアが、ブラジルペアを2対1で下し、勝ち進みましたが、間近に見る二人のプレーは迫力があり、普通に私が対戦しても勝ち目はないと思いました。応援団とコーチの皆さんの笑顔が印象的でした。

 センターコートに戻ると、男子ダブルス、アメリカ対地元中国でした。スタンドにはおなじみになった「中国、加油。応援団」がそろいの黄色いシャツに身を包み「中国!加油!!」の掛け声を飛ばし入場を待ちました。すると大歓声の中入場してきたアメリカの選手が中国の旗を振り、ボールをスタンドに2つ3つ打ち込みました。そのパフォーマンスにスタンドはさらに盛り上がりました。私はアメリカの選手の「中国!加油!応援団」に対するパフォーマンスをとても大人の対応だと感じました。彼らは過去の2回のパラリンピックでメダルを取っているベテランで、対する中国ペアは初出場ですが若く、相当練習を積んで来ている強豪です。アメリカペアは地元の応援がすごいことは十分解っています。そんな雰囲気の中でのこのパフォーマンスは、地元中国への応援を嫌がるのではなく、彼らの応援も自分達への見方にもしようというプラス思考の余裕が感じられ、「皆さんありがとう」「この試合を一緒に楽しもうじゃありませんか。」という強いメッセージを感じました。

      

 試合はこれも白熱した勝負になり、フルセットにもつれ込みましたが、最後はアメリカペアの老練な技が光り、中国ペアを下しました。試合後アメリカペアは再びボールをスタンドに打ち込み歓声に答え、中国ペアも持っていたタオルをスタンドに投げ入れ、観衆も大喜び。センターコートは盛り上がりのうちにこの日の日程を終了しました。

 

鳥の巣が揺れた パラリンピック 走り高跳び 鈴木徹選手

 私がパラリンピックで一番楽しみにしていた種目はなんと言っても陸上男子走り高跳び。日本選手団の旗手を務めた片足義足のジャンパーで、2mの自己記録を持つ鈴木徹選手を見てみたいとずっと思っていました。片足義足で2m以上を跳んだ選手は世界で2人だけでその一人が鈴木選手です。私自身も専門にしていた種目で、鈴木選手の苦労が想像できるだけに、ぜひ応援したいと思っていました。

 鈴木選手のコーチの福間博樹先生は私の学生時代からの友人で、走り高跳びで日本新記録を出した選手を2名育てた日本一の走り高跳びコーチです。私たちは久しぶりに北京で会い、観光をしながら楽しく語り合い、オリンピック公園に向かいました。試合前のサブトラックで、金網越しにスタート前の鈴木選手に福間先生が声をかけると、鈴木選手は輝くような精悍な表情で「今日はいいと思います!」と答えていました。ワクワクしながら鳥の巣に入ると、スタンドの前列には日本選手団が陣取っていて、私たちも中に座らせてもらい、一緒に盛り上がりました。

 そして、競技開始。鈴木選手は1m81からの登場で、この高さは一回目で難なくクリアー。続く高さもクリアーして行き、1m90の高さにバーは上がりました。一回目リズムを崩してジャンプにならず、2回目は僅かに触れる惜しい失敗で最後の一回のチャンスに追い込まれてしまいました。スタンドからは山梨の実家から駆けつけたご両親、奥様も小さな息子さんを抱き祈るような表情で見守ります。

左から義肢装具製作の臼井さん、鈴木選手、奥様と息子さんです

 そして、運命の3回目。鈴木選手がリズミカルな助走からポンと踏み切ると、身体は見事な放物線を描き、バーのはるか上を越えて行きクリアー!!スタンドからは大歓声が上がります。福間先生も大きく手を上げガッツポーズ。鈴木選手へジェスチャーで次の高さへの指示を出しました。今日の鳥の巣もスタンドは超満員の9万人。その中を車椅子リレーで中国チームが先頭を走り優勝。場内割れんばかりの拍手と歓声に鳥の巣がゆれました。ウエーブもそこかしこ起こり、雰囲気はオリンピックを越えるほどの盛り上がりです。

 鈴木選手の試合の合間、私は後ろの席に座っていた日本チームの義肢装具製作者として有名な臼井さんにパラリンピックの難しさについてお話を伺っていました。同じ片足といっても膝がなければ運動制限が大きくあること、そして膝から下の骨が何センチ残っているかでも動きは大きく違うこと、現状のルールでは腕のない人と足のない人が同じ分類にされるので、高跳びの場合には義足の人が不利であること等の話を興味深く聞きました。話を聞きながら見ていると、確かに義足で1m90を跳んだ選手は鈴木選手と身長の高いアメリカの選手だけで、他の選手は片腕に支障のある選手ばかりでした。鈴木選手は膝から下の骨が短いため、やわかなゴムで包むようにして空気を逃がして義足を着けるのですが、夏は汗で滑ることも多く苦労するそうです。

 バーは上がり、1m93。鈴木選手は滑らかな助走から、さきほどの跳躍を再現するかのように見事なジャンプでこの高さをクリアー!! スタンドも大きく沸き、日の丸の小旗も振られました。そしてバーは1m96の高さへ。鈴木選手の今年のベスト記録は1m95でそれを超える高さです。1回目は義足のアメリカ選手と片腕のオーストラリアの選手がクリアー。鈴木選手は失敗。メダル争いは片腕の中国選手2名と鈴木選手に絞られたようです。そして、2回目に中国の一人の選手がクリアー。鈴木選手は僅かに触れる惜しい跳躍でしたが、2,3回目と失敗し、惜しくもメダルを逃しました。

 優勝したアメリカの選手は、義足の世界記録2m11cmをクリアーし、大歓声のうちに試合が終わりました。鈴木選手が今回クリアーした高さは1m93。アテネ大会の時の記録を9cm上回りましたが順位は5位で、臼井さんによると今回の北京パラリンピックは非常にレベルが高いということでした。優勝した選手の身長は1m95で、頭上16cmをクリアーしました。鈴木選手の身長は1m78で今回は頭上15cmのクリアーでしたが、鈴木選手は北京のひのき舞台で世界一の技術を示してくれたと思います。

 鳥の巣を出る時、私は福間先生とがっちり握手しました。福間先生は「北京に応援に来てよかった!」と笑顔で私の手を強く握ってくれました。私たちはスポーツがもたらしてくれる、順位や記録とは違った意味でのさわやかな感動を味わっていました。「支援してくれている方々への感謝の気持ちを自分のジャンプで表したい」と話す好青年の鈴木選手があの1m90の3回目。追い込まれた中で見せてくれた目の覚めるような素晴らしい跳躍は、この北京へ賭けた4年間の鈴木選手の思いと応援に来ていたご家族、そして指導している福間先生の気持ちがぴったりとかみ合った本当に素晴らしいジャンプでした。

パラリンピック 義足の進歩と選手の努力

 鳥の巣で鈴木選手の応援の時に私の隣の席で一緒に応援した春田さんは鈴木選手と同様片足義足の短距離選手でした。100mを12秒5で走る春田さんは、今回の北京パラリンピックには惜しくも出場なりませんでしたが、私に競技用の義足やパラリンピックの競技会について語ってくれました。

 春田さんはもともとスポーツマンで、膝から下を失った後も、スキーも普通に楽しめるぐらいになっていましたが、臼井さんから競技用の義足があることを知り、陸上競技を始めたそうです。

 写真は春田さんが普段つけている義足で重さは2.5Kgあり、結構重いです。製作者の臼井さんの話では、人間の足だとこの部分で5Kgはあるそうで、足よりは軽いそうですが、筋肉がないので使う人にとっては相当重く感じるでしょう。春田さんはこれを装着したての頃は棒のように感じたそうですが、今では足の大きさの感覚もあるほどで、話を聞きながら私は人間の感覚の回復の素晴らしさに感心しました。

 走る時には鈴木選手と同様のグラスファイバーで出来た特殊な義足に代えるそうです。その価格は80万円くらいするそうですが、補助金もあるそうです。しかし、驚いたことに今話題の南アフリカのピストリウス選手の装着している義足は数百万円するそうです。臼井さんの話だと、彼は膝から下の骨が長く残っているようで、強力な力を発揮できるのではと言うことでした。いずれにせよ、選手達は競技用を装着する時にはあのバネのような構造の反発をうまく使えるように工夫し、その動きが身につくには相当の努力と時間が必要だということです。

 義足での生活は、慣れてくると日常生活にはほとんど支障はなくなってくるようです。しかし、足の裏のように柔らかく対応できないので、石が一つ転がっているだけで、踏んだ時にそれが支点になりバランスを崩すことがあるそうです。お話を聞いていると、隣に座っていた理学療法士をされている奥様も話しに加わってくれ、リハビリの方法や今後必要な用具などについても話をしてもらえ、とても勉強になりました。

写真 左が春田さん 右が臼井さん

 オリンピック、パラリンピックともに日本のメディアはメダルの数を中心に報道しているようですが、中国のメディアはその背景にある技術やルール、歴史等を時間をかけて放送しています。特にパラリンピックについての報道はとても多く、毎日生放送と録画でほとんどの種目を伝え、車椅子をこぐときの有効な力の入れ方なども細かく解説しています。このような、地道な報道も各スタジアムを満員にして盛り上げることにつながっていると思います。

 話を聞きながら、私はコーチの皆さんと選手との関係はオリンピック以上にパラリンピックは暖かいと感じました。選手たちがひのき舞台で最高のパフォーマンスを発揮できるように支え、その支えを全身で感じ、全力でがんばる選手達。それを見守り応援する家族や職場の皆さん。パラリンピックの日本チーム応援席はスポーツの本来持つ素朴で純粋な心で満たされた素晴らしい空間でした。皆さんの話を聞く中で、私自身もいつかパラリンピックのアスリートを支えるような研究をしてみたくなりました。