北京オリンピック当時 2008年7月~9月          中国国際放送局(CRI)のHPに連載したコラム

 北京在住時に知り合った中国国際放送局(CRI)日本語部の方々との交流が縁で、私は北京五輪とパラリンピックについて、外国人から見た視線でホームページにコラムの執筆を依頼されました。当時は東京に五輪とパラリンピックがやって来るとは思ってもみませんでしたが、リオ五輪も終了し、五輪旗が日本にやってきたことで東京開催のカウントダウンも始まりました。そこで、当時の印象が何かの役に立つかとも思い、当時の開催地北京の様子を紹介したコラムをホームページに掲載することにしました。

北京オリンピックへの期待

                
   2008-07-31 21:11:23    cri

自己紹介

 はじめまして。田邊潤です。

 この4月から1年の予定で早稲田大学からの交換研究員として北京大学に派遣され、現在北京大学の宿舎で暮らしています。日本では早稲田大学の付属高校である本庄高等学院で保健体育を教える傍ら、所沢にある早稲田大学スポーツ科学部で陸上競技や健康スポーツについての講義も受け持っています。中国に来た目的は、中国のスポーツについて子供たちの学校教育からお年寄りの健康作りまで幅広く調査し、学ぶことです。もちろんオリンピックが開催される北京の街や人々の様子を肌で感じ、中国の人々の中に混じって一緒に感動を味わってみたいと考えたことも北京に来た大きな理由です。  

 様々な武術や雑技、古式体操、舞踊など、長い歴史から育まれてきた中国独自の体育が、オリンピックという世界最大のスポーツの祭典とひとつに融合し、頂点を迎えようとしている瞬間を自分の目で直接見られることにスポーツ指導者として今大きな感動を覚えています。

 このたびは、中国国際放送局(CRI)のホームページに私の感じる北京とオリンピックについて書かせていただけることをとても光栄に思っています。北京に住み、肌で感じて思うことを幅広くお伝えできればと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

北京オリンピックへの期待

 いよいよ北京五輪もカウントダウンが近づいてきました。私の期待するものについていくつか書いてみたいと思います。

1 開会式 

 なんといっても開会式は素晴らしいイベントになると思います。古代から多くの新発見や固有の文化を長い年月を超えて世界に向かって発信し続け、世界をリードしていた中国の誇る歴史、そしてこの世界最大のスポーツの祭典を開催できる中国国民の喜びを、開会式のセレモニーの中では余すところなく表現してくれるのではないかと思っています。

2 地元中国選手の活躍

 中国で開催されるオリンピックですから、ぜひ地元の選手たちに活躍してもらいたいと思っています。その中心となるのは卓球、体操、飛び込み等中国のスーパースター達が代表となる種目になると思いますが、なんと言っても陸上の劉翔選手のハードルには活躍してほしいと思っています。

 彼は北京オリンピック全体のシンボル的な存在になっているだけに、彼の活躍で中国の人々にさらなる感動を、そして世界の人々にもオリンピックを中国で開催してよかったと思える幸福感を与えて欲しいと思っています。

3 日本選手の活躍

 日本の選手には出場する各選手が全種目でベストを尽くしてくれることを祈ります。

 私としては、メダルにこだわる見方はしていません。晴れの日本代表となりオリンピックに出場する選手達は、日本で一番強いわけですから、結果がどうあれベストを尽くす姿を心から応援したいと思います。また、これまで選手達が歩んできた中で育てていただいた先生やコーチの方々、一緒に戦ってきた仲間とライバル達への感謝の気持ちをこのオリンピックに素直にぶつけて欲しいと願っています。

4 専門の陸上競技種目では

 陸上競技にはコーチや選手で知っている人も多いので、どの種目も楽しみです。

 室伏選手のハンマー投げ、男女マラソン、男子400リレー、走高跳びの醍醐選手・・・、名前をあげたらきりがありませんが、メダルや入賞以上に自己記録と日本記録の更新を期待したいです。

 個人的には授業で教えたことのある5000mの竹澤選手が楽しみです。彼は2年前に私が授業の中で中国語について話しをしたら、授業後に「合宿で昆明へよく行くので、中国語には興味があるので。」と相談に来ました。とても向学心のある素晴らしい学生です。また、同様の理由で人間的にも尊敬できるマラソンの佐藤選手にもがんばって欲しいです。女子では福島大の川本監督率いる1600mリレーが楽しみです。

 

オリンピックまで1ヶ月を切った街の変化

オリンピックまで1ヶ月を切った街の変化
   2008-08-01 12:42:54    cri

 1.車の量が減った!

 これについては、いくつか理由があり、ひとつは学校が休みに入り学校関係で走っていた車や自転車が減ったことがあげられます。また、公用車の使用にも規制がかかったようで、公用車としてよく使われる黒のアウディーも、なんとなく少ない気がします。来週からはナンバーによる規制に入るためさらに減るようです。

 2.チェックが厳しくなった

 空港での入国チェックは4月に来た時よりも相当厳しくなりましたが、地下鉄に乗るときにも係員がいて荷物のチェックをされるようになりました。先日は私にとっての仕事道具のバランススティック(健康体操用具)の長いバッグを持って入ろうとしたらいきなり止められ、銃と間違えられました!

 中を開けて、「こんなふうにして使うの」なんて話したら、係の人にきょとんとされましたが、電車に乗るのも大変です。

 3.大学への出入りが難しくなった

 私の住む北京大学は体育館が五輪卓球会場ですから、入校の時にはいつも係員ににらまれるようになりました。不審に思われると身分証明書の提示が必要になり、持ち忘れると部屋に戻れなくなりそうです。また、よく行く北京体育大学は外部者の出入りが完全に規制されて中に入れなくなりました。これは、オリンピック準備で中国代表選手の練習場になっているためで、当然厳しいわけです。この体育大に最近出来た建物の内部の写真は4月に撮影したものですが、日本にはあまり紹介されてない部分だと思います。

 これからは、オリンピック直前の変化について、またレポートしようと思います。

▼北京大学内の私の住む部屋の前のオリンピック用マラソンコースにも掲示板が立ちました。

▼地下鉄の駅。ここは地上に出ている部分の多い13号線の駅ですが、なかなか近代的です。

 

▼北京体育大学にある強化選手用施設。この建物の中で現在中国代表選手たちが練習しています。

▼巨大な建物の中にある室内陸上競技場。劉翔選手もここに来るかもしれません!

▼建物の半分は体育館やトレーニング場です。

▼足を漬けて入る形のいわゆる足湯。その後に足つぼマッサージに行くのかもしれませんね。

 【プロフィール】

 

五輪ボランティアの学生達

 
   2008-08-01 12:48:35    cri

写真1

 7月も末になり、北京の街には青いユニフォームのオリンピックボランティアの人たちがそこかしこで働いています。そしてそのユニフォームを見ると微妙に違っていて、大会会場周辺で働く人と街中で道案内等する人とでは、着ている服が違います。今回はボランティアの学生達にインタビューしてみました。

 写真1は街で一番多く見かけるボランティアの人たち。北京体育大の前のブースにいた逞しい身体の彼らはみんな北京体育大学運動部の選手達で、サッカー、水泳、テニス、武術等様々なスポーツを専門にやっているとのことでした。彼らの仕事は観光客の道案内をしたり、オリンピック用に発行されているニュースを通行人に渡したり、様々ですが、行くとみんな明るく親切に話してくれます。中国の街では普通は英語はなかなか通じませんので、英語で話しても無視されることが多いのですが、このボランティアの学生達は私が中国語に詰まって英語を使ってしまう時も、わかろうと理解するようにしてくれ、いつもと違う雰囲気を感じます。彼らのユニフォームは綿のような素材で出来ていて、下のズボンは人によりまちまちでした。

 写真2はバスで一緒になったボランティアの学生で、彼らは北京科学大の2年生でした。彼らのユニフォームは化学繊維で出来ていて、ズボンもグレーの長短2種類あり、北京体育大にいた学生の着ていたものよりもさらにおしゃれな感じがしました。彼らの仕事は五輪会場での切符売り関連で、会場の周辺で仕事をするようです。彼らの着ている服は、結構格好がよく、お土産に買おうと思い、いくらか聞いてみたところ、すべて支給されるようで、買えないそうで残念でした。

 楽しみな種目はサッカーとバスケット。それにもちろん劉翔選手の110mハードルということでした。また、日本のサッカーのナカムラ選手のファンと言うことで、普通の中国人は中国語で話す中で日本人の名前はすべて中国読みで発音するのでわかりにくいのですが、彼は「中(チョン)・村(ツエン)」でなく「ナカムラ」という発音をしてくれ、ちょっと驚きました。

    
写真2                             写真3

 写真3は北京大学内で見かけた女性達。赤を基調にしたユニフォームに、白地に赤い絵柄の入ったスカーフがなかなかおしゃれ。全員北京大学の学生で、仕事は会場周辺のフードコートで働くとのことでした。開幕まで2週間を切り、ボランティアの学生達もスタンバイしています。

 五輪ソングの一つ「微笑北京」の歌詞の中には「ボランティアの笑顔こそが北京の最も良い名刺」という歌詞があり、世界から集まる人々をたくさんのボランティアの笑顔で迎えようということで、オリンピックムードはぐっと高まって来ています。

 

北京五輪ソングに感動!

 
   2008-08-05 15:30:43    cri

 4月に北京に来て以来、CD屋さんに行くのがとても楽しみになりました。

 私がよく行くのは大学のそばにある本屋さんと一緒になっている大きな店ですが、たくさんのCDやDVDが並んでいて、見ているだけでも1時間位すぐ経ってしまい全然飽きません。

 北京五輪関連のCDやDVDも多くあり、私も4枚ほど買いました。

 北京五輪ソングのCDをはじめて買って開く時、どんな曲が入っているのか楽しみでとてもワクワクしました。そして開けてみると、中に入っていた曲はみなテンポのよい曲が多く、中華風の大陸的なものや西洋風のポップス、香港ポップス風等様々な内容で、私の期待以上のものでした。どの曲もメロディーや間奏の中にドラの音とか胡弓とか笛とか中国伝統の味付けが入っていたりして、中国の大陸的な広がり、スケールを感じさせてくれとてもいいなあと思っています。

 五輪ソングを聴いていて一番嬉しいのは、なんとなく元気が出てくると言うことです。北京に来て生活する中で、いつも中国語には苦労していますが、特に4月にはしっかりと聴き取れる中国語の単語も数えるほどでしたので大変でした。でも、CDやDVDを見ることによって聴き取れる単語もだいぶ増えました。特に歌詞の中にしょっちゅう出てくる「モンシャン」という言葉の意味が「夢」であることを知った時、とても元気が出てきて「がんばろう」という前向きな気持ちがもらえて嬉しく思いました。

「みんなの夢が今実現しようとしている!」

「世界の人たちを喜んで向かえよう!」

「100年の夢がかなう!」

    

 日本だったら、歌詞がストレートな表現過ぎる感じがしますが、この五輪ソングを聴いていると、このストレートな表現が気持ちよく伝わってきて、中国そして北京の人々と同じような気持ちで五輪を迎えようという気になってきます。

そんな中での私のお気に入りの曲をあげると、次の3曲です。

1 北京 歓迎 ニー :この曲はメロディー、歌手のメンバー、歌詞 最高です!

2 実現 モンシャン :これは聞いているだけで夢を実現しようって気にさせてくれます

3 Forever Friend :これは誰とでもすぐに仲良くなれちゃいそうな曲です

 そんなわけで、五輪ソングを聴くことによって、北京五輪への期待はさらに高まってきます。

 

開幕前夜 天津の夜はサッカー 日本対アメリカ

 
   2008-08-08 23:07:04    cri

 待ちに待った北京オリンピック。8月6日からはいよいよ予選競技が始まりました。

 7月25日のチケット最終販売の日に売り場に行っては見たものの、長い列を見て、チケットを買うのをあきらめ、マラソンとか自転車とかを沿道で見られるだけでも良いかと思っていた私のところに、運よくチケットが回ってきました。それも、なんと天津で行われるサッカーの日本戦チケットです!

 

 私は生まれてから日本で行われるオリンピックを3回、東京・札幌・長野とテレビでは見てきましたが、実際に会場に足を運んで見たことは一度もありませんでした。なので、オリンピック競技の中でも一番見てみたかったサッカーの日本戦がスタジアムで見られるということの幸運に驚くとともに、チケットが手に入らなくて観戦に呼べなかった家族にとても申し訳ないなと思いました。

 一緒に天津へ行くメンバーはCRIや日本のメディア関係の方々を中心に全部で5人。みんなワクワクしながら、北京から最新の中国新幹線に乗って天津に向かいました。メンバーの中にはフリーアナウンサーの方や某局の元解説委員の方まで混じり、オリンピックはもちろん、各種スポーツから外交問題、中国生活の心得等、実に話題が豊富で、午前中に北京を出てから天津のサッカースタジアムに到着するまで、充実した楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 そして、いよいよサッカースタジアムへ。私たちのチケットは連続番号ではありませんでしたので、私はCRIのMさんと一緒にスタジアムの厳重な安全チェックを通りました。スタジアムへ向かう階段を上りながら、オリンピックの行われる2008年の北京に暮らし、体験していることの大きな価値を、私は改めて感じました。天津のスタジアムも5月に行った鳥の巣同様曲線が美しく、中に入った感じが明るく、素晴らしい建物でした。そして、私たち2人は2階席のコーナーキックのよく見られる位置に座りました。

 入場するとちょうど日本の国家斉唱が始まっていて、オリンピックムードが一気に高まってきました。日本は青、アメリカは白のユニフォームです。スタンドの観客は7、8割は埋まっている感じで、地元中国戦でなくてもオリンピックを実際に見たいという中国人の熱気が感じられます。

 

そして、いよいよキックオフ。スタジアム全体が大きな歓声に包まれます。「ニッポンがんばれ!」「U・S・A!」「ジャーヨウ!」日本語、英語、中国語の応援がスタンドにこだまします。私の席の前はちょうど通路で、アメリカの国旗をマントにした若者も行き交い、アメリカへの応援を盛り上げます。応援の雰囲気は全体的にアメリカびいきのような感じもして、日本は少しアウェーのようです。

 前半は日本に大きなチャンスが2回ありましたが無得点。後半に入ってすぐ、アメリカが得点し、スタンドからは轟音のような歓声と大きな拍手。以後相互にチャンスがありましたが、日本も得点できず残念。試合は0対1でアメリカの勝利となりました。

 試合終了後、スタジアムの外に出てみると、アメリカの勝利に喜んでいるグループを見つけたので、私は「おめでとう!」と声をかけに行きました。握手をし、写真を撮りながら話していると、彼らも私たち同様試合結果以上に、オリンピックをスタジアムで観戦し、母国を応援することが出来たことの喜びに浸っているようでした。

 開幕前夜の天津で、私たちは世界中から人々集うオリンピックの素晴らしさを早くも肌で感じることが出来ました。

 そして、今夜はいよいよ開会式。中国の人々の描く「一つの世界・一つの夢」をじっくりとテレビで楽しんで見てみたいと思います。(文・写真 田邊潤)

 

開会式の日に見た中国人の心

開会式の日に見た中国人の心
   2008-08-12 13:18:14    cri

    

 開会式当日の午前中に私の住む北京大学の横を聖火が通過するということで、西門の狭い通りを待つこと1時間30分。いよいよ来るかと思って楽しみに見ていたら、通過したのは聖火といってもランナーではなく聖火が積まれたトラックでした!

 こんなことなら、速く知らせて欲しかったと思いましたが、ものものしい警備でしたし、その通りの人の数は、北京大学の裏の道だけでも数万人はいたと思いますので、まさかランナーが来ないとは思いませんでした。

 でも、私がとても感心したことは、聖火の通過が終わってから大群衆がだれも怒ったりしなかったこと。警備の人の数もすごかったので、言えなかったのかもしれませんが、「そんなことなら早く言ってほしかった!」という思いはみんな一緒だったはず。

 私は、その状況で、文句も言わずに戻って行った中国の人々にこの日の開会式に臨む中国の人の心を感じました。もちろん、私自身も大群衆の中に混じって「中国 加油(ジャーヨウ)!」の大合唱を体験できたことで、開会式を迎える気持ちは高まってきました。

 そして開会式。

    

 私は開会式のテレビ中継をCRIのスタッフと仕事をしながら局内で見ることになりました。午後8時。いよいよ始まるという国家の斉唱の時にはスタッフ全員が自然に立ち上がりました。そして、私も一緒に立ち上がり、厳かに流れる中国国歌を静かに聞きました。

 みんなの感動が伝わってきてジーンとなりました。

 開会式の内容については、スケールの大きさと度肝を抜くような展開に本当に驚きと感動の連続でした。悠久の歴史の中に、ハイテクをちりばめ、最後は人間がやっているとは思えないような雑技のような聖火の点火。どの演出にも意味があり、深く考察され、長い時間準備してきたことが、十分に伝わる素晴らしい式だったと思います。

 2008年8月8日。中国国民にとって最も長い一日は、北京に住む一外国人の私にとっても、忘れられない一日になりました。  

 

北京から天津への中国新幹線の旅

 
   2008-08-13 15:14:49    cri

     

 先日のサッカー観戦の時には北京南駅から天津へ、開通したばかりの新幹線に乗ってゆきました。この新幹線は北京と天津の間120kmを30分で結ぶ高速鉄道です。

 北京の基点となる駅はこれも最近出来た北京南駅。入ってみて驚きましたが、まるで空港のような大きな駅で、入口のセキュリティーチェックを通ると、大空間に待合ロビーが広がり、その先に切符売り場があります。

 早速掲示板を見ながら予約状況を確認し、天津行きの切符を買いました。料金は1等69元。私たちの乗った2等は58元と日本円で900円くらいでとても安いです。120kmの距離を日本の新幹線に乗れば、相当高いと思いますが、中国ではバス、タクシー、電車等の乗り物料金はとても安く、暮らしやすいです。

     

 外観や、中の車両の様子、座席等は日本の新幹線とそっくりで、日本からの技術をほとんど導入しているようです。途中では時速340km位まで上がる箇所もあり、天津までノンストップで30分、本当にあっという間に着きました。

 私の住む北京大学の宿舎は北京市内の北西部にあり、北京南駅まではバス、地下鉄、タクシーを乗り継いで1時間20分くらいかかりますから、北京から天津までの方がかえって近く感じました。天津に着くと駅がまた新しい巨大な駅で驚きました。

 天津の町は、19世紀から20世紀初頭のヨーロッパ諸国との関係から、古い建物や橋などに異国情緒の漂う、なかなか雰囲気の良い町でした。スタジアムに向かうバスの中では、天津にある南開大学の女子学生と親しくなり町の様子を聞き、「南開大学は周恩来の出身大学ですね。」と言うと、うれしそうに「そうです、周恩来さんは私たちの大学の父です!」と答えてくれ、話が弾みました。

     

 また、天津のタクシーは、基本料金が8元と北京よりも2元安くリーズナブルで、2回目に行ったときには運転手さんが親切で、サッカースタジアムに行くまでに天津の観光名所について親切に話してくれました。おかげで試合前まだ時間があったので、途中で降ろしてもらい、高さ415mある天津タワーにのぼることも出来ました。高層から天津の町を眺めながらジュースを飲んで一休みし、スタジアムへ向かいました。

 この高速鉄道のおかげで、北京と天津はさらに強く結びつき、2つの都市は一体となって五輪後の中国を新たな発展へと導いてゆくことでしょう。サッカーが天津スタジアムで開催されたおかげで、

 私たちは思ってもいなかった小旅行で素晴らしい経験させてもらいました。

 

男子サッカー 日本対ナイジェリア オランダ対アメリカ

 
   2008-08-14 12:22:13    cri

 競技2日目のサッカーのチケットが手に入り、8月10日は再び天津へ向かいました。

 今回の相手はナイジェリア。前回のアメリカ戦は悔しい負け方をしたので、今日は勝って欲しいと思いながら、スタジアムに行きました。

      

 スタジアム周辺には前回以上に日本人サポーターの数も多く見かけ、みんな気合が入り、必勝体制といった感じです。開始前の国旗の入場と国歌の斉唱でオリンピックという国際大会のムードが一気に高まります。今回の天津でのサッカー試合は1日に2試合あり、1枚のチケットで2試合見られることになっていました。スタンドの観衆はほとんどが中国人ですが、ヨーロッパのサッカーをテレビで見ている人が多いようで、第二試合のオランダ対アメリカ戦を目当てに第一試合から来ている人も多く、観客の中にはオランダのチームカラー、オレンジ色のシャツを着た集団も目立ちます。

 いよいよ試合が始まりました。今回の席はゴールの左後方で、遠くですが全体の動きが良く見えます。ゲームが始まってすぐに感じたことは、ナイジェリア選手の個々の身体能力が非常に高いということで、いざという時のスピードが圧倒的に違うという感じがしました。そんな中でも日本チームは前半から組織的に動き、互角の戦いだったと思います。

 後半に入り、ナイジェリアに一瞬の隙をつかれていい形を作られ先取点を奪われました。スタンドはものすごい歓声で、ナイジェリア人は客席には数えるほどと思いましたが、観客の中国人の多くはナイジェリアびいきのように感じました。そのうちに、雷が鳴って雨が落ちてきました。雨足は強くグランドコンディションも心配になってきました。

      

 その後、ナイジェリアに追加点を奪われ、また大きな歓声があがり、スタンドは終盤に入り騒然となってきましたが、その中で日本も反撃のゴールを決め、追い上げます。日本のゴールにも大きな歓声があがりました。

 そして、日本の反撃もむなしく試合終了。男子サッカーは予選敗退が決まる、残念な結果に終わりました。しかし、まだあと一試合ありますので、勝利を目指してぜひがんばって欲しいと思います。

 私たちは日本戦終了後そのまま残り、第二試合のオランダ対アメリカ戦を前半だけ見ることにしました。私はこの試合を見ながら、応援の違いを感じました。スタンドに陣取ったオレンジの集団が起点になり、スタンドでは大きなウエーブが起こり、試合以上にスタンドが盛り上がります。また、「オランダ」「U・S・A」の連呼もスタンド全体まで巻き込むような大きなものでした。第二試合は少しオランダびいきの感じもしましたが、アメリカにも多くの声援が飛んでいました。いずれにせよ、スタンドの一体感は第一試合をはるかに超えたものでした。

 第一試合から降り始めた雨は、2試合目の始まる前までとても激しく降り、グランドコンディションが心配になりましたが、2試合目の選手達の動きを見ると、それほどぬかるんでいるようにも見えず、天津サッカースタジアムの水はけのよさは素晴らしいものだと感心しました。また同時に、悪コンディションの中でも平然と試合を進めているオランダ、アメリカの選手達のボディーバランスの良さを感じました。

      

 私たちはその日のうちに北京に帰らねばならないので、第二試合の前半だけ見て帰りましたが、2試合観戦できたことで、予選グループ各チームの実力がわかり、中国人の観客の参加国に対する見方や応援の仕方の違いも肌で感じることができ、とてもいい経験になりました。

 

五輪モニュメント探しの楽しみ

 
   2008-08-15 15:43:11    cri

      

 今、北京のあちこちでは五輪にちなんだイベントが行われているようですが、道ばたや公園にある、いかにもオリンピック的なマークやモニュメントを見つけるのも五輪の開催される街北京に住んでいる楽しみの一つかと思います。

 私はほとんどの移動はバスを使っていますが、バスの窓の外から北京の街を眺めていると、たくさんの五輪の看板やシンボルマーク、モニュメントを目にすることが出来ます。

      

 先日はラマ寺院の駅の近くで大きな万里の長城のモニュメントを見つけました。また、北京動物園の近くで見つけた竹で作られた自転車の人形もスピード感ある動きが感じられ、素晴らしいと思いました。

 私が今のところ見つけた中では特に、写真のような植栽で作られた競技種目を表す人形はかわいらしく、東京ディズニーランドにある植栽で出来たミッキーを思い出して、見つけたときには思わず笑ってしまいました。

      

 先日天津に行って比較して思いましたが、このマークやモニュメントは北京に特に多く、やはり五輪というものが中国全土ではなく、基本的には北京という都市で開催されるものであるということが伝わってきました。

 

女子マラソン観戦

 
   2008-08-18 19:24:06    cri
 17日は楽しみにしていた女子マラソンの日でした。

 北京オリンピックのマラソンコースは北京の名所旧跡を通り、私の住む北京大学内にも入ってきますので、私は部屋の近くで走ってくる選手を待つことにしました。

 朝7時から部屋のテレビをつけて、放送を待ちますが、どのチャンネルを回してもなかなか始まりません。北京のテレビチャンネルは全部で30位あり、一回り番組を探すだけでも5分くらいかかってしまいます。日本と違い中国のテレビ局はマラソンにそれほど力を入れているわけではないらしく、結局スタート前からの放送はありませんでした。

 あきらめかけた時にやっとニュース映像のような感じで天安門広場のスタート風景が映し出され、いつも人でいっぱいの広場と車でいっぱいの道路がきれいな広い空間になっていることに五輪マラソンなんだという実感がわいてきました。

 スタート後はまたニュース放送になり、マラソン映像がなくなってしまいチャンネル探しに戻りましたが、8km過ぎくらいからはマラソン中継が始まったようでなんとか続けて見ることが出来ました。中国の放送は解説者もいますが、日本に比べラップタイムとかの分析もそれほど細かくはないようでした。

 先頭集団が20kmを過ぎてから部屋の外に出てランナーを待つことにしました。大学構内は五輪期間中入るのが厳しいので、それほど多くの人はいませんでしたが、みんな楽しみにランナーを待っています。この日の北京は予想していたよりも涼しく、猛暑だった去年の大阪世界陸上とは随分様子が違うと思いました。

 しばらくすると、上空を飛ぶヘリコプターとともに、ランナーがやってきました。観衆からは中国選手だけでなく全選手に「ジャーヨウ!」の応援が途切れることなく続きます。声援が響く中、肌の色が違う多くの選手達が母国のユニフォームを着て入り乱れて走ってくる五輪マラソンの独特の雰囲気は素晴らしいものでした。先頭の選手から最後尾の選手まで、ひたむきに前に進んで行く選手たちに接することができ、胸を打たれました。日本選手では中村さんが元気そうな顔で走っていったのが印象的でした。

  

 全選手が通り過ぎてから部屋に戻ってテレビでゴールを見ましたが、優勝したトメスク選手の笑顔とラストスパートで2位に入ったヌデレバ選手、3、4位に入った中国選手の喜びが印象的でした。また、シモン選手の年齢を感じさせない走りや、何度も立ち止まりながらもゴールしたラドクリフ選手のがんばりにも感動しました。日本選手では、土佐選手は足が痛くなり途中棄権はかわいそうでしたが、中村選手が強豪集まる中、しっかりとした足取りで13位でゴールしたのは立派だと思いました。

中国のテレビで毎日報道されている中国選手たちの大活躍に驚きながらも、北京に住む一外国人として、日本での解説や報道情報に触れずにレースをテレビやコース脇で観戦できたことは自分にとってとても新鮮なものでした。スポーツ本来の持つ純粋なさわやかさを感じさせてくれた女子マラソンレースでした。

 

交流が楽しめたトライアスロン観戦

 
   2008-08-21 12:54:55    cri

 今回はフリーアナウンサーのTさんからチケットが回ってきて、トライアスロンの試合観戦に一緒に行くことが出来ました。トライアスロンとは水泳、自転車、ランニングの3種目を連続に行ってゆく競技で、別名鉄人競技とも呼ばれています。コースは北京中心からバスで1時間かかる北の郊外にあるダムに特別に作られた施設でした。

      

 トライアスロン競技を見るのは初めてですが、それがオリンピックということはとても幸運でした。スタンドに行くと正面がダムで水泳が見られ。正面手前には自転車とランニングコースが特設されていて、さらには大画面ビジョンが備え付けられているため。スタンドに座れば全ての競技が快適な環境で観戦できるようになっていて驚きました。

 世界各国からの参加者は50名以上いて、日本からも2名が参加しています。競技開始前に紹介された選手たちは皆背が大きく、水泳選手と陸上競技選手を合わせたような筋肉のかたまりのような感じで、見るからに「鉄人」といった感じです。

      

 試合は初めの1.5kmの水泳では大きな差はつきませんでしたが、次の40kmの自転車では先頭集団の3人と後続集団では1分くらいの差がつきました。そして、最後のランは10km走で、ここで後続集団が追い上げ、混戦になりました。そして最後はドイツ選手のラストスパートが決まり1位。2位はカナダ、3位はニュージーランドの選手が入りました。

 試合終了後に国旗を持って応援していたドイツ、カナダ、ニュージーランドの方々にお祝いを伝えにゆきながら交流を深めました。また、後ろの席で応援していた日本人のグループの方に話しを聞いたら、なんと参加していた山本良介選手のお母さんのグループでした。山本選手は自転車の途中で一時トップを走る見せ場をつくり、スタンドからも拍手と大歓声があがっていました。

      

 そしてバスに向かう途中では試合に出場した田山寛豪選手にも出会い、一緒に写真を撮ってもらいました。田山選手は大男ばかりのトライアスロン競技の出場者の中でもひときわ小柄な選手で、過去にワールドカップでも優勝した実績を持つ期待の選手でしたが、今回は上位に入れず残念でした。

 そんなわけで、今回は各国からの応援の人々や選手とも交流が出来、オリンピックならではの体験が出来ました。

 

鳥の巣での陸上競技観戦

 
   2008-08-21 13:10:14    cri

 私にとって鳥の巣は5月の中国国際オープン陸上大会以来2回目でしたが、あの時とはオリンピック公園全体の様子が大きく違っていました。

鳥の巣の地下鉄の駅

 まず地下鉄の駅が出来ていてデザインが非常に美しく、中国のイメージではありませんでした。そして、地上に上がってみると、協賛メーカーのパビリオンあり、中国各地方の紹介用のテントあり、ディズニーランドのようなパレードもあり、鳥の巣周辺の様子がお祭り広場のようでした。私も競技場の外でスウエーデンの応援団を見つけて、期待の男子走り高跳びのステファン・ホルム選手の調子を聞いたりして、「今日は絶対優勝さ。」とか気合が入っていて、競技場に入る前から一緒に盛り上がりました。

 今回は中国教育政策の専門家の吉村澄代さんと一緒の観戦で3階席でした。3階への階段は長く急で、息が切れましたが、席に座ると一気にオリンピック独特の競技場の雰囲気を味わうことが出来ました。3階席からは屋根が近くて聖火の燃える様子は判らず、フィールドの空間が見えないため、鳥の巣全体が大きな室内競技場のような感じでした。私の周りにはリトアニア、イギリス、スウエーデン、ロシアなどのヨーロッパの方が多く座っていて、ここが中国北京であることを忘れてしまいそうです。

 今日のメイン種目は男子走り高跳びや男子1500m。女子100mハードルなどの決勝種目に加え、日本選手の出場する女子5000m予選、100mで世界記録を更新して優勝したボルト選手の出場する200m準決勝もありました。前日の劉翔選手の棄権欠場は中国国民をがっかりさせましたが、オリンピック種目の中での陸上競技の魅力は大きく、スタンドは世界各国から集まった人で満員でした。

      

 午後7時から競技が始まり、走り高跳びの一跳一跳にスタンドから大きな拍手があがり、選手たちの気持ちも一気に盛り上がっているように見えます。そんな中、女子5000mに日本の女子選手3人が出場し決勝進出を狙いましたが、あと一人で決勝進出を逃がし残念でした。小林選手、福士選手、赤羽選手とも積極的なレースを見せましたが、長距離種目でのアフリカの選手たちとの力の差を改めて感じました。

 競技途中では前日の女子棒高跳びの表彰式が行われ、世界新記録で優勝したイシンバエワ選手が大きな目から大粒の涙を流しながら国歌を聴く姿に感動しました。ちょうどその時は男子走り高跳びでもロシアの選手が優勝し、場内はひと時ロシアタイムになりました。

      

 フィールドでは円盤投げも始まり、エストニアの応援団が私達の前に座り応援を始めました。すると、女子400m決勝になり、後方の席ではイギリスの応援団が歓声を上げます「クリスティーン。カモーン!!」という声が聞こえ、レースはスタート。前半からリードするアメリカ選手をあと30mのところでジャマイカとイギリスの選手が追い上げ。最後にイギリスのクリスティーン選手が抜き去って優勝。「クリスティーン。カモーン」と大声で叫んだおばさんは自分の言ったとおりになって大喜びで、周囲の観客席から祝福の大拍手が起こりました。

 すると今度は、後半に入った円盤投げでエストニアの選手が大逆転でトップに躍り出て優勝ました。私も前に座るエストニアの応援団に祝福の拍手。彼らも振り返って嬉しそうに笑いました。

      

 競技の合間には吉村さんのお話も沢山聞かせていただき勉強になりました。吉村さんは最近「素顔の中国」という本も出版され、日本では中国の素顔の姿が十分報道されてなくて、理解されていないことを研究と実体験をもとに解説していただき、オリンピック観戦が2倍楽しめた夜でした。

 

劉翔選手に思う…

 
   2008-08-22 20:56:24    cri
 北京オリンピックで中国国民が最も期待し、楽しみにしていたものの一つは、陸上競技男子110ハードル、世界チャンピオン劉翔選手の活躍だったと思います。そして、私もその予選レースをテレビの前に座って楽しみに待っていましたが、残念ながら予選レース直前に棄権という、思ってもみなかった結果になりました。

 この日の劉翔選手はスタート前に場内に入ってきた時からの表情が、5月に鳥の巣の中国国際オープン陸上大会で見たときとは全く別人のようでした。6月には、アメリカの大会で足を痛めたようだという報道もあり、心配はしていましたが、この入場の時の表情を見て、その怪我が深刻なものであることははっきりとわかりました。私はウオーミングアップを軽くしてからトレーニングウエアを脱いだ時の劉翔選手の脚に注目しましたが、テーピング等の様子はなく、肉離れではないのかと思いながら、走る前の練習ハードリングを見ました。カメラは横からのアングルでいつものように綺麗に2台のハードルを超えてゆく劉翔選手を映し出し、一瞬大丈夫なのかと思いましたが、跳び終わってから劉翔選手の表情が見る見る厳しいものになって行くのがわかり、これは大変なことになったと思いました。

 ただ、画面に映るこの異変については中国のアナウンサーも全く触れず、スタンドの大観衆も彼が元気に走る姿のみをイメージしているようで、劉翔選手の怪我の情報が外部にあまり出ていなかったのかと思いながらスタートを待ちました。そしてフライングがあり、そのときのスタートからの動作でもう走れないと判断した劉翔選手は腰ゼッケンのシールを自らはがして退場して行きました。

 テレビのアナウンサーもスタンドの観衆もあっけに取られてその光景を見ることになり、騒然とした雑音の中、2度目のスタートの号砲が鳴り、選手達はスタートして行きました。この組の他の選手達には申し訳ないような、どうにも止めようのないざわめきが場内を包んでいました。

 この劉翔選手の棄権についてはこれから多くの報道がされて行き、実際の状況がわかってくると思います。本当に予想もしていなかった展開になり、当日のチケットを努力して買った人を含めてがっかりしている人も多いと思いますが、私はスポーツに怪我はつきものだと思いますし、棄権せざるを得なかったのは仕方ないことだと思っています。

 このような状況になって、私が改めて感じることは、劉翔選手がこれまでの選手生活で乗り超えてきた壁がいかに大きなものであったかということです。劉翔選手は、欧米の選手やアフリカ選手が圧倒的に強い陸上競技の中でも、特にアメリカの独壇場であった110mハードルという種目でオリンピックで優勝し、世界記録を破り、中国だけでなくアジアの人々に希望を与えてくれました。      

 北京五輪の開催が決定してから2008年の開催までの準備期間の中で、アテネ五輪や世界選手権の優勝により劉翔選手の果たしてきた役割は中国スポーツ界にとって非常に大きなもので、北京五輪開幕以来現在まで続いている中国選手の大活躍を引き出したのも、中国の若いアスリート達に勇気と自信を与えてくれた彼の功績だと感じています。北京五輪本番での活躍は見果てぬ夢となりましたが、怪我による欠場で劉翔選手のこれまで成し遂げてきた輝かしい競技経歴に傷がつくことはないと私は思います。

 そういった意味でも、私はぜひ閉会式に劉翔選手に登場していただきたいと思います。

 北京オリンピックの期待を一身に背負いがんばってきた成果が、多くのアスリートに広がり、これほどまでに中国の人々を元気づけ、成功へと導いていったのだということを閉会式で肌で感じていただきたいと思います。中国国民に与えてくれた勇気を今度は中国国民から、そして世界中の人々から受け取って、再スタートを切ってもらえればいいなあと思っています。そしてそうすることが世界の人々がオリンピックの精神を再認識することにつながり、メダル争いで世界の頂点に立つであろう中国スポーツの、北京五輪後の新たな時代のスタートにもつながってゆくのではないかと思っています。

 

応援について考える 野球3位決定戦

 
   2008-08-24 15:49:53    cri

 オリンピックが始まった頃、野球の3位決定戦のチケットが手に入り、その時は日本戦になるとは思ってはいませんでしたが、昨日の準決勝に敗れて日本対アメリカ戦を見られることになりました。

 北京五輪の野球場はプロ野球の盛んな日本のスタジアムに比べると、ちょっと貧弱に見える感じです。スタンドは全て仮設で、内野スタンド前のネットもなく、ファールグラウンドも狭い感じです。

      

 しかし、両翼は98mありグラウンド自体は広いものでした。私の席はレフトとセンターの間の外野席でしたが、スタンドには日本人がとても多く、特に正面に見える1塁側内野スタンドは日本の国旗がそこかしこ掲げられ。試合が始まるとそのスタンドからはリーダーの笛に合わせた日本チームへの一斉応援が始まり、ホームチームのような感じです。

 試合は日本が先手を取りアメリカが後を追う展開になりました。そして4対1と日本がリードした後、アメリカの攻撃でレフトの佐藤選手がフライを落球しました。その時、私の後方の数人の日本人が佐藤選手に「何をやってるんだ!」という野次を飛ばしました。私はその野次を聞いていて、とても不愉快になりました。プロ選手だから当たり前といっても、応援というものは励ましながら選手に最高の力を引き出すためのもので、叱りつけることはかえって緊張させてしまい良くないと感じましたが、その後も佐藤選手に対しての野次は時々続きました。

 試合はそのエラーをきっかけに日本は同点に追いつかれ、後半にも加点され4対8でアメリカに敗れてしまい、結果的に佐藤選手のエラーは大きなターニングポイントになってしまいました。

 私は試合の終盤で北京オリンピックでも話題になっている応援時のブーイングについて考えてみました。私たち日本のスポーツ界では古くから野次という形での応援方法はありましたが。ブーイングという応援は無かったのではないかと思います。欧米のプロサッカーやプロ野球がテレビでも放送されるようになり、ホームチームと敵チームに分かれる中で、応援も過熱し相手のプレーを精神的に圧迫するようにブーイングが起きるようになり、それが日本にも伝わってきたように思えます。

 そんな中、北京オリンピックでも地元中国の応援の中で相手チームへのブーイングも見受けられました。地元の優位といえばそれまでですが、ブーイングという行為そのものは、いい感じのものではないと感じました。

 本来スポーツの試合においては選手たちは相手に勝つために死力を尽くして純粋に戦います。そして相手がどんなライバルであっても相手に対して敬意を表することはスポーツマンとして大切なことで、相手選手へのブーイングをされると、地元選手は相手に対して失礼だと感じ、親しい選手同士の場合などは試合終了後には、地元選手が相手選手に謝りに行く場合もあります。

      

 3位決定戦終了後、私はアメリカの応援グループの所へ行き「おめでとう」と言ってから、日本の笛による集団応援についての話を聞いてみました。すると、派手なアメリカ国旗が入った帽子をかぶったおばさんは、不機嫌そうでした。私は日本の野球文化について説明しましたが、彼らにとってはアメリカの応援者が日本よりも少ないこともあって、笛の先導による応援は相手を威圧する目的ではなかったとしても、いい感じはしなかったようです。とはいえ、そのおばさんの息子さんがアメリカの選手だということで、銅メダル獲得おめでとうということで一緒に写真を撮らせてもらいました。

 今回の北京オリンピックを直接競技場で見られたことで、世界各国の応援を肌で感じることができたことは私にとって大きな収穫でした。応援の中でも味方を応援するもの、敵の集中力を低下させようとするもの、味方のミスプレーを注意することでがんばらせようとするもの等いろいろあることがわかりましたが、オリンピック等での国際試合において相手を貶めるような応援スタイルは、国際問題にも発展しかねず、やはり味方を応援するということに集中することが重要なのではないかと改めて感じました。

 

北京オリンピックに思う その1 笑顔が国を光らせた!

 
   2008-08-26 13:19:23    cri

 4月に北京に住むようになってから、五輪の看板や旗、新たなモニュメント、美しい花や植栽など、五輪開催を前に日々移り変わる北京の街の景色を見ながら、オリンピックの開催を楽しみにしてきました。オリンピックのカウントダウン掲示板の日数が刻一刻と減ることに、北京に住む中国の人々と一緒に心を躍らせていました。一方では、日本や世界からのニュースでは聖火リレーでの混乱を伝え、大気汚染やテロの発生を危惧する声も耳にしました。

 そんな中で起こった四川大地震。オリンピック開催を危ぶむ声も聞かれましたが、北京オリンピックは予定通り開催ということで、中国の人々は四川の人々の救済に心を置きながら、目はオリンピックを見据えての準備を加速して行きました。中国という13億の人口を誇る大国の、内外を揺るがす大きなうねりの中で、北京オリンピックは着々と準備が進められ、8月8日の開会式の日を迎えました。

 開会式は中国の人々にとって、いや世界の人々にとっても、忘れることの出来ない一大イベントとなりました。中国の歴史と伝統と新たな未来を、最新の科学技術を絡めて描き出した演出に、私たちは圧倒されました。一つ一つのシーンに深い意味を持たせた、素晴らしいショーでした。あの開会式が無事終了した時に、多くの人々が北京オリンピックが大成功のうちに進んでゆくことを予測できたのではないかと思います。

 大会は地元中国選手の大活躍を中心に、日を追うごとに白熱して行きました。世界各地から集まった選手達が、各種目で繰り広げた名勝負、名場面、世界新記録の誕生、勝利した選手達の笑顔、敗れた者の涙も、私たちにとって忘れられないものとなりました。「オリンピックは参加することに意義がある」という言葉のもとに集まった選手達も、実際にはその種目のただ一人の勝利者を目指して戦ってゆきます。勝利者の数の何十倍、何百倍もの敗者が生まれ、その戦いの中で最も輝く金メダルを獲得した勝者を私たちは羨望のまなざしで称えるとともに、敗れた選手達にも大きな拍手を送りました。

 そして迎えた閉会式。またもや驚くような演出の数々の中に混じって行われたセレモニーの一コマに、私の目は釘付けになりました。開会式や閉会式の中で行われた演出の中でも最も地味なセレモニーの中に、私は北京オリンピック大成功のもとになった美しい笑顔を見つけました。そこには、私たちが北京の街角のあちこちで、そして大会会場の各部門で常にお世話になったボランティアの代表者のみなさんが、次々と舞台に上がり、選手達の代表者からお礼の花束を渡されている光景が映し出されていました。スカイブルーのシャツとグレーのズボン。そろいのユニフォームを着たボランティアの皆さんの笑顔が輝いていました。

 世界各国のメディアからの北京五輪の評価がどのようなものになるのか、私にはわかりません。しかしながら、北京に住む一外国人の私にとって、このオリンピックを通じて北京の街でふれあった中国の人々の笑顔と優しさ、そして明るさは、生涯忘れることの出来ない思い出になるとはっきりと言えます。常に親切な態度で接してくれた中国の人々の笑顔から、私はこの国の人々がどんなにこのオリンピックを待ち望み、楽しみにしていたものであるかが読み取れました。オリンピックを開催したことのある日本から来た私は、開催したことの無かった中国の人々の素晴らしい笑顔から、私たちが忘れかけていた素朴で純粋な心を思い出すことになりました。

 北京五輪は、施設、運営、演出等で過去の五輪の中でも高い評価を与えられるのではないかと思いますが、一方ではお金のかけすぎという批判も出るかもしれません。そんな中で、誰もが最も高く評価し、中国という国のイメージを最も高めたと感じさせるものは、一番お金のかからないボランティアの方々の笑顔だったのではないかと私は思っています。 ボランティアの皆さん 謝謝 感謝!

 

北京五輪に思う その2 ルールの変更と勝負の行方

 
   2008-08-29 15:05:40    cri

 北京五輪の始まる前、日本でも話題になっていたものの一つに、競泳選手の水着問題がありました。イギリスのメーカー「スピード社」の開発した水着を着用した選手達が好記録を続出し、日本製の水着も早期の対応を迫られましたが、対応できずに日本選手の多くも本来着用する予定の無かった「スピード社」の水着を着て出場することになりました。スポーツメーカーとの契約が絡む、一流選手ならではの近年特有の問題ではありますが、この水着問題も含めて、体操や女子レスリング等でも勝負の行方を左右するようなルール変更がアテネ五輪から北京五輪に至るまでには行われきていました。

 北京五輪の始まる前にたまたま知り合ったTさんはかつて大手繊維メーカーに勤められていて、今回の水着問題の真相を良くご存知でした。「本来は水着に使う生地には有利に水をはじく張り合わせ製法は許可にならなかったが、今回は急に許可になり、その情報を事前に入手できなかった日本の各メーカーはすぐには対応できなかった。」Tさんは内情を説明してくれ、最後に「ルールの範囲内で最高の技術を求め、世界をリードする自信があった日本メーカーだったが、外国はルールそのものを変えてしまった。」と残念がっていました。

 同じようなことが体操の採点法にも見られました。長い体操競技の歴史の中でずっと続いていた10点満点という基準も、アテネ五輪で日本が団体王者に返り咲いた後の世界選手権から、満点という概念そのものが無くなりました。このルール変更により、姿勢欠点の少ない美しい体操を目標に素晴らしい伝統を築いて来た日本の体操界も大きな転換を迫られました。私は北京五輪の体操競技をテレビで見ながら、日本の選手達の演技をとても美しいと思いましたが、なぜか得点は伸びてきませんでした。そして、多少の失敗にもかかわらず高得点を出す外国選手の演技を見ながら、美しさ以上に高い難度の追求が求められる時代になってしまったということを実感しました。

 オリンピックや世界選手権の歴史の中では、日本のスポーツ選手が活躍するごとに、世界の競技ルール基準も変わってくることはよくありました。柔道、体操、レスリング、冬季競技でもスキージャンプの板の長さや、スケートのスラップスケート靴、複合競技の得点等、ルールの範囲内で最高の技術を目指して努力してきた結果として日本が優勝すると、世界のルールが変えられるという宿命が日本のスポーツ界にはあるように感じます。

 そんな中、見事に対応して活躍した選手達は本当に立派だと思いました。その中でも特に私は、体操競技の演技の中で、いつものクールな表情で素晴らしい演技を披露し続けた富田選手の演技に感動しました。富田選手の演技するときの表情は、私たちに「みなさんに本当に美しい体操をお見せしましょう」と訴えるような意地が感じられ、胸が熱くなりました。

 メダルの獲得という目から見れば、ルール変更への対応の遅れは致命傷になるのかもしれませんが、選手達にとっては、ルール変更が大きなものであればあるほど、すぐには対応できません。私たちはともするとマスコミのメダル獲得報道に扇動され、スポーツ選手自身への配慮を忘れてしまうことがありますが、日本を代表してオリンピックに出場する選手ですら難しい対応を迫られるルールの変更による勝負の行方については、特に選手の皆さんに配慮した報道がなされてゆくことを期待したいと思います。

 

北京五輪に思う その3 記録ラッシュ

 
   2008-08-29 15:11:53    cri

 北京五輪は最新の施設が完備され、選手が競技するための環境が良かったという点でもここ数回の五輪の中でも際立っていたのではないかと思います。それは、水深が深く、最適な温度に調整された競泳用プール「水立方」の中で出された数々の新記録や、鳥の巣と呼ばれる国家体育場で打ち立てられた驚異的な世界記録によってもわかります。

 競泳の世界記録の場合には最新のスピード社の水着「レーザー・レーサー」の着用による記録の短縮もあるかと思いますが、陸上競技の記録の場合には鳥の巣の競技場の設計や設備、そして気温の影響があげられると思います。

 私がまだ日本にいる頃、北京五輪の気候についての日本での報道は、「北京五輪の時期は日本と同様かそれを超える残暑」というものでした。4月から北京に住むようになり、一番先に感じたことは湿度が低いということ。部屋に干しておいた洗濯物が1晩で乾くような湿度の低さで、のどをやられそうな気もしました。そして、夏が近づくにつれて日差しが強くなり、日陰は日本よりも涼しく、湿度の低さが感じられるものの、7月後半になると日本同様の真夏でした。

 ところが、開会式の頃を境にして夕方から少し涼しくなってきました。そして、15日を過ぎ、ちょうど陸上競技が始まる頃になると、夕方の雰囲気が日本の9月初旬のような感覚になってきました。ちょうどその頃私は、アナウンサーのTさんに面白い話を聞いていました。「日本の旧暦はもともと中国の暦のため、日本では季節の変わり目の時期がずれ、暦の上では秋ですがまだまだ暑い今日この頃、とかよく言うけど、北京ではだいたいピタッと暦どうりに進みます。なので、そのセリフは北京ではあまり使わないの。」

 その話を聞きながらなるほどと思っていると、陸上競技が始まってすぐに暑い時には記録が出にくい長距離種目の女子10000mでオリンピック記録が、また女子3000m障害で世界新記録が出ました。その後の展開はご存知のように男子100、200mの世界新記録、女子棒高跳びの世界新記録と続き、長距離種目でも五輪記録が連続で更新され、最終日に行われたマラソンにいたっては五輪記録を3分くらい更新する好記録になりました。

 これらの陸上競技の好記録から判断できることは、鳥の巣の競技場のトラックが記録を生み出すために最適な硬さであるということ、そして鳥の巣の周囲を囲むネット状の巣に見える部分が選手が速く走ることに障害となるような強い風を吹かせないようになって取り囲んでいるということ。そして、日本であれば残暑の季節も、北京では朝、夕は涼しく過ごしやすいということがあげられると思います。

 専門的に言えば、ボルト選手の記録から判断して彼の一歩に要する接地時間は0.09秒前後、また、走る時の歩幅は後半では2m60cmを越えるものと思われます。短い接地時間と大きな歩幅を生み出すためには相当に硬いゴム質でありながらも良く弾むオールウエザートラックとなっていることが想像できます。このことは、2m以上が4人も出たハイレベルな女子走り高跳びからも判断でき、走り高跳びの助走路はトラックよりも若干柔らかめのさらに弾むような硬さで作られているのかもしれません。このあたりについては、確認していませんのでわかりませんが、いずれにしてもルールの範囲内で記録の出やすい構造のトラックで、快適な気候のもとで行われたことがこの北京五輪の陸上競技での記録ラッシュにつながったのではないかと考えています。

 2008年の夏、北京五輪を見た世界各地のアスリート達にとって、北京五輪会場はいつかは競技してみたい憧れの場所になりました。五輪開催をきっかけに、今後は世界水泳や世界陸上の開催を誘致し、北京がいつか再び世界トップレベルのアスリートの集う場となることも、近い将来の楽しみにしたいと思います。

 

英雄たちの残像

2008-09-02 14:25:12    cri

 今日は久しぶりにテレビをつけてみました。オリンピック期間は毎日ずっと各競技の様子を映し出していたテレビの番組も、閉会式後1週間となり通常番組に戻っていました。そんな中、スポーツ専門チャンネルでは開会式の録画をまだ流していて、地元北京育ちで卓球に出場した張怡寧選手の宣誓シーンを見て、「張選手、優勝できてよかったなあ」と改めて思いながら、少し眺めてからチャンネルを回しました。

 すると次のチャンネルでは、現在香港で行われている五輪メダリストの演技会の様子が生中継されていました。そこには、体操の楊威選手、李小鵬選手、飛び込みの郭晶晶選手をはじめ、卓球、バドミントン等北京五輪で大活躍した中国のメダリスト、スーパースター達が次々に映し出されていました。中継は香港市内の各会場で行われている演技会を、飛び込みプール、体操体育館、バドミントン場、卓球場と4元中継で結ぶ大掛かりなものでした。  

 どの演技会場も、憧れのスーパースターを一目見ようと満員のお客さんでいっぱい。その中で、注目を一身に浴びて交代で演技する選手達。彼らはみな、オリンピックとは違ったリラックスしたムードが感じられるものの、オリンピックそのままの中国代表チームのユニフォームを着て、それぞれの専門種目をこなしていました。体操選手は吊り輪の演技で力技を、飛び込み選手は飛び込みを、卓球やバドミントンの選手は選手同士が互いに打ち合う技を、きちんと披露していました。私はその演技会を見ながらとても感心し、驚きました。

 体操の李小鵬選手などは、どこか痛そうで途中で演技をやめ、肩のあたりをさすりながら苦しそうな顔を見せましたが、楊威選手がもうちょっとがんばれというようなことを言って、改めて演技をしたりして、五輪後の疲れを引きずりながらの懸命な演技でした。私はテレビを見ながら、選手達にそこまでやらせなくても、と思いました。日本であれば、オリンピック直後のメダリストを迎える会は講演会や歓迎会が主だと思います。五輪後間もない疲れの残る選手達を、遠い香港に集めることは、スポンサーや出演料の関係もあるのかもしれませんが、さらに演技をさせようというような発想は、日本では考えられないことなのではないでしょうか。

 香港の演技会の中継が終わりチャンネルを戻すと、開会式の録画番組はちょうどクライマックスの聖火のシーンになっていました。最終点火者の李寧氏が空中高く引き上げられ、鳥の巣の壁に写された絵巻の中を走る様子は何度見ても驚きです。

 李寧氏は1984年のロスアンゼルス五輪の体操金メダリストで、中国の誇る英雄です。大会後自分の名前を冠した会社を起こし、現在は中国を代表するスポーツメーカーの最高責任者。日本であれば、M社かA社の創業社長です。その英雄に、巨大な鳥の巣スタジアムの天井で、年齢的にも危険を伴うようなパフォーマンスをさせる。私はこの演出に、中国人独特のダイナミズムと奇想天外な発想の迫力を改めて感じました。

 北京五輪で輝いた中国の英雄達の残像は、吹き替えなしのアクション映画で活躍する香港出身の大スター、ジャッキー・チェンの姿を思い起こさせるもので、中国の中で英雄として生きてゆくことに必要なものを、私は垣間見たような気がしました。